お、夏模様ですな。これだけ暑いと、夏行事するか、って気分になりますよねえ。
ビアガーデン、海、セール!
…どれも3年くらい行ってないですorz

さて。ふっ、と思い出したように書棚からビートのディシプリンを読んでみました。

どうしても腑に落ちなかったから、ひっかかっていたんでしょうね。
具体的には、物語のキーとなる「カーメン」が何なのか、
そのあたりの解決が、理解できなかったのかなと。

ビートのディシプリンという作品は、ブギーポップ作品の中でもちょっと外れたものです。
何しろ、ブギーポップの影すら見えません。出てこないんですな。
んでもって、統和機構の内情が見えてしまう作品でもあります。

そのせいでしっくりこなかった、というのもあるのかもしれません。


作者である上遠野浩平さんも巻末に書いていますが、
「実は一度も間違わなかった」のがビート。

自分にできることとできないことを把握して、
そのできることのうち、更にできることとできないことを知る。

作中ではそうは見えないけれど、彼はブレなかったんですね。

そういう彼だからこそ、カーメンに到達できたのだといえるわけなんですな。


自分に振り返って思うのですが、そこまでがんばってるかなぁ…。


あらゆる登場キャラクターに、転機が訪れますし、
話の筋としては、クライマックスに近いんですよね、この作品。


が、個人的には「面白かった!」といえないのは、ビートに共感できないからなんじゃないかなぁ、とか。
ほら、そこまで頑張ってないからさ(笑


てか、結局納得はできてないんですよ。
結局アレなわけか? カーメンってのは統和機構が用意したMPLS探査に継ぐような、
「次の何か」を探すためのトラップみたいなものであって、
しかしカーメン探しをしているかどうかはオキシジェンでもそうそうわからないと思うわけで。
…わかるんか、柊さんには(笑

カーメンも見つけるものなわけで、それに到達すれば突破するわけですから、
そういう意味ではMPLSと似たようなものになれるんかなぁと思ったり思わなかったり。

揺るがすような概念足り得ない、と思うから腑に落ちないのかなぁー。