昨日に続いて、もうちょっと感想らしきものを書いてみたり。
相変わらずネタバレですので、観てない人は読まないように。

さて、昨日の文章だけですと書き足りないので、
今度はもうちょっと物語に深く足をつっこんだようなネタを書きたいと思います。

…と、いうよりも、昨日のやつをはみ出したものだけ書いてるだけだったりね。

不満など、いくらでも出てくるのですよ。
期待の高いものでしたし、それだけ好きなものだったから。

ロベルトも無く、アストナージはほぼ出てこない、
ロザミィは消えて、サイコガンダムマークツーも無い。

フォウ、サラは声が丸きり違うし、このあたりは商業の臭いが凄まじくします。

シャアはシャアだから出ていた、というか出してみた、というような形だし…。
もっと現代に即した演説を聞かせて欲しかった。

そういう意味では政治がほぼ排されている感じがしますね。
シロッコもシャアも、各陣営それぞれが、本当はもっと、こういう理由でやってるんだっていうこと、
わからせるシーンをどんどん追加すべきでしょう。
そうでなくても、彼らは少年兵です。言ってみればね。
そういう人たちまでも出さなければならないというのは、現代よりももっと先の感覚なのです。
そういう論を出してもいいんじゃないでしょうか。

当時のことはまったくわかりませんが、「あたしだってできたのに!」
「女を道具としか…!」というのは、時代を反映した、当時は先進の感覚だったのだと思います。
そのあたりも、もう少しフォローがあっても問題ないと思いますしね。

「恋人たち」では多少いいシーンもあったんですよ。
ウォン、ブライトなどが作戦会議をしているシーンね。
あれ、新技術を見せたわけじゃないですか。
それと、意味が通じない人たちの為に解説をつけたような箇所でもありますしね。

しかしながら「恋人たち」で重要なのはフォウとカミーユなのであって、
あそこで死なせていいのかどうか…!
ガンダムシードデスティニーに丸ごとパクられたあのシーンを改変していいものか!

モビルスーツとしてみると、ゼータの変形プロセスはああなんだ、ちう指針を与えたのはいいかもしれません。
また、シールドないとかなり不恰好なウェイブライダー形態してるんだということとか。

ああ、あとはコロニーレーザー内部、綺麗でしたねえ。
現代で表記するならあれくらいないとダメですよねえ。


うーん、又何か思い出したら追記しちゃいます。

ジェリドの扱いがヒドイ。