2020年10月発売作品。
Nekodayさんの「Christmas Tina -泡沫冬景-」は、”バブル青春群像AVG”。
大きな手術が必要な妹のため、一家で働き続ける櫻井栞奈は、事故に遭い松葉杖生活を余儀なくされる。
「たぶん、わたしは悪くない……」
大学進学に失敗した景蕭然は、気力のないまま、飲食店で働いていた。
「いつからこうなった?」
櫻井栞奈と景蕭然。
二人は、すごいらしいと聞き及ぶ東京へ、働きに向かう。
それは、バブルといわれる時代の終わり。年号の変わる頃……。
それでは、感想です。
ネタバレは少しだけあります。
独特の空気感を備えた作品でした。
舞台が1990年頃の東京です。
電話ボックスと、水商売。学生のコンパ。密入国。建設。海外展開のための工場閉鎖。
その頃はこのような感じだったのかなと思える部分もありますが、
そこまで描写は重くないため、ふわふわしているところもあります。
いきなり東京に出て何とか為った時代ともいえて、
櫻井栞奈と景蕭然は、準備もなく東京を訪れます。
そうしなければいけない部分と、そうしたい部分。
櫻井栞奈は、新しいアルバイトを紹介して貰おうと思ったものが、自分が望まないものだったためにパニックを起こし、事故に遭います。
その事故で、櫻井栞奈だけが生き残り、生き残ったからこそ町で噂の対象になる。
町で生き辛くなったから、東京へ向かった。
景蕭然は、大学受験に失敗して、役所の勧めで飲食店で働いて。
しかし何時の頃からか気力を失ったまま過ごしていたために、日本へ渡り進学資金を稼ごうとします。
このままだといけないと思ったのかも知れません。
体験版は、事情を抱えた二人が、原宿に降り立ち、
仲介を経て、廃駅に住み込むという奇妙なバイトを始めるところまで。
サムネイルだと、”国境を越える少年少女の「生」の物語”とありますが、作品と合っていません。
櫻井栞奈と景蕭然とは、互いに言葉が分かりません。
コミュニケーション不足に陥りやすい。
引っ込み思案で、元々上手く話すことが出来ない。
言っている音だけ聞くと、怒っているのかと思う。
二人の性質もあります。
バイトを仲介した佐倉詩織も積極的に関与しようとはしません。案件の一つに過ぎないからということでしょう。
社長の江小墨にしてみれば、本当に案件の一つ。むしろ、物語上では二人が何処までやれるのか試す側の立ち位置です。
同じことを思っていても、分かち合ったと感じられないし、
言いたいことがあっても伝わらないから、もやもやする。
相手を思い込んでしまう。
見ていて、やきもきする場面でもあります。
次第に、相手に優しくしようとしてみたり、少しずつ相手のことを理解していくのですが、
言葉で通じ合うことがありません。
廃駅に住み込み、猫を見掛けたら報告するだけのアルバイト。
いかに東京とはいえ、寒くなっていく。
言葉が通じなくても、何とか過ごせしていくことができた二人は、
例え通じなくても、次第に何かを言おうとします。
そしてある日、景蕭然は誰にも伝えることが無かった、誕生日を明かします。
実のところは。
父のような学のある人になりたいと憧れていたが、
大学教授だった父が、時代の運動により、畑と小さな小屋しかない場所へ追放され、失意の父を見ながら過ごしていたのです。
景蕭然の誕生と同日に母を亡くしているから、父から祝われることが無かったのだと。
そして、勉学のために親戚の元へ預けられていた景蕭然が知ってしまったのは、
父が亡くなったこと。
大学受験へ失敗したのは、それが原因だったわけです。
いつかは、と願っていた父がいなくなった。
色々抱えていたことを、つい言ってしまうくらいになっていたわけです。
「生」の物語、ではないけれど。
言葉で伝えられないけれど。
こうして緩やかに、何かを伝え合っていく、そんな物語なのです。
大きく動くのは、櫻井栞奈の妹、絵美が訪れてから。
絵美は物怖じしないところがあるのか、積極的に関わろうとしなかった栞奈と違い、
景蕭然に伝わらなくても良いから話してみる、近くにいてみるのです。
子供だからと思ったのか、景蕭然も話して聞かせようとするのです。
その二人が、奇妙な同居生活を経て、
二人にとっても、振り返ると、印象深い時間なったのでしょう。
後の二人の性格形成に大きな影響を与えた一年間だったのだろうと思えます。
その二人を見守る人たちにも。
目を引いたのは、江小墨。
不動産業をしているらしく、佐倉詩織の雇い主で、櫻井栞奈や景蕭然の雇い主でもあります。
ヤクザなどとも渡り合い、社会の裏にも大分踏み込んだことをしているのですが……。
雇い主でありながら、景蕭然や櫻井栞奈を追い出そうともすることがあるのです。
江小墨の行動は、一貫性が無くなってしまう。
かつては、信じていたから。
駅舎の二人と、似通った人生を過ごしてきたから。
それは過去に、歴史になっているから、最早変えようが無い。
今更取り戻せるものもない。
複雑な思いがあって、だから試すような真似も、守るような真似もしてしまう。
江小墨から見れば、景蕭然は、過去の自分を見ているようだったのでしょう。
そして、自問してるのかも知れない。自分は、本当に正しかったのか、と。
こうやって、誰の過程をきちんと表現してくれたところが、群像劇なのでしょうね……。
気になるのは。
絵未の容態が急変して、そのことを親に伝えないところには納得がいきません。一家総当たりで何とかしようとしたくらいの金策をこなせると思ってしまったのかよりも、
もし間に合わなかったときのことを想像しなかったとは思えないのですよね。
栞奈は、後ろ向きの性格です。
栞奈が言わないのは、物語のための行動としか思えないというか。
そもそも、絵未が栞奈の元へ行って良いと医者の許可を得られるものかな?とも。
そして、会話が伝わらないなら、最低限の仲介を頼むのではないかなと思ったりも。
簡単な住み込みのバイトとはいえ、成功しなければ互いに目的は果たせませんし。
長い時間、言葉が分からなくても過ごせるものなのか、という気もしますし、
もっとトラブルが起きそうではあります。
それと。
UIなどにおける「はい」「いいえ」の位置。
やはり海外制作作品だなと思うのは、位置が逆なのですよね。
ドラマティックなドラマは無い。
笑いはある。住み込みでもバイトだから、外出チェック表を作って貼り出した景蕭然の様は、笑いの場面でしょう。
でもそれも、ほんのりとしたもの。
太刀打ちの出来ない現実と、社会と、その隙間。
ちょうど入り込んだ黒猫一匹を追うような、小さな物語です。
堪能しました。
そういえば、この黒猫は、本当は一体何だったのでしょうね。
bermei.inazawaさんの音楽がとにかく素晴らしく、どの場面を聴いても場にフィットしていて凄まじいと思います。
それでいて、印象的。
歌詞を読むと、エンディングに繋がるものがあるように思います。